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オレの目の前に姿を現したのは意外な人物であり、今オレに必要な”最も信頼できる大人”だった。
「久しぶり!ずいぶん元気そうじゃないかー!」
先生、小川先生じゃねーか!
懐かしき我が恩師!あの屈託のない笑顔!
しかしまた何でまたうちの豚小屋に来たんだ?!
どうやら完全にオレをコントロールする術を失った母が困り果てた挙句、先生に相談していたらしい。
先生、会いたかった、本当に会いたかった…
辛くて、悔しくて苦痛の毎日だったんだぜ?
「中学校は面白くないか?何が気にいらないのか先生に話してみてくれるか?」
「先生、中学校なんて自由もなにもない軍隊みたいなところだよ。
オレは”お国の為に”働く気なんか更々ないのに奴らの横暴ったらないよ。酷いだろ…」
次いで母は
「先生、優しく言っても聞かないんだよこいつは!厳しく叱って!」
残念ながらこの素晴らしき我が恩師、小川先生はそんなことに耳を貸しはしない。
どんな時でも教え子の味方であり続ける男なんだよ。
ー落ち着いてください、この子は決して悪い子じゃないー
こいつは先生のキャッチフレーズさ。
未完成な子供を悪と決めつけることは絶対にしないのが先生の素晴らしさなんだよ。
まあ、生徒数の少ない田舎だし、インターネットもないあの時代だったからこそ成立したのかもしれないが、しかし彼は自分の教え子を最後まで信じることをやめない人だった。
「先生言ったじゃねーか、クソみたいな大人の言うことは聞かなくていいって。」
すると先生は笑って
「そっかーじゃあ半分は先生のせいかもしれないなあ…なら今信用できる大人は誰なんだ?」
そいつは決まってるだろ?先生とじじいだけだよ。他に誰がオレの言葉に耳を貸してくれるんだ?
ー 僅かな沈黙の後、先生が口を開いた
「…なら、しばらく家に来てみないか?」
マジかよ…!先生の思いがけない提案にテンションが上がった。信頼できる最高の大人としかもしっかりした教育が受けられる!
この豚小屋ともおさらばだ!
…がしかし、そう簡単に物事が上手く行くわきゃない。
当時、先生には3歳になったばかりの息子がいて大変な時期だった。
教え子とはいえ他人のガキを預かるなんて無茶過ぎるし、母もその提案には目を丸くして驚いていた。
「お母さん、どうです?転校はできないにしても一度環境を変えてみては?」
「いや、いくらなんでも先生に面倒見てもらうことはちょっと…」
バツの悪そうな母の顔ときたらなかったな。先生にはこの悪魔の無責任さが何となくわかってたらしい。
しかも明らかに我が偉大なる恩師に見透かされていた。
全くざまあみろって気分だったな。
「そういえばおじいさんはどうしてる?去年、ユニークなおじいさんのことを作文に書いただろ?おじいさんなら信頼できるんじゃないか?おじいさんと話してみたらどうかな?」
「いや…祖父はちょっと…預かってくれるかもわからないし、あまり賛成できないかも…」
益々、母の顔は強張りはじめた。
この時に確信したんだか、母の最大の敵は間違いなくじじいだった。
確執というものはじじいからは感じなかったが母からはありありと出ていた。
ー後になってわかったことだが、この時、母はオレをじじいに押し付けられるってことに内心安堵していたらしい。じじいがじじいソックリのオレというお荷物を押し付けられるなら因果応報、それも憂さ晴らしの一つと考えてたのかもしれない。ー
父親が帰ってきて、家族全員で先生を含め話合いとなり、先生はあくまでも中立な立場ということで話を始めた。
この家の中でオレの味方となる人はいなかったし、最悪な状況へ転じる可能性もあったわけだ、味方欲しさにオレは真っ先にじじいを呼ぶことを要求した。
この家ではオレに対してフェアであったことは一度だってなかったからな。
ーーーーー
じじいはすぐさまやってきた。
偉そうに遂にオレの出番っかてな具合でさ。
先生から事情を聞いたじじいは返す刀でこう即答した。
「よし、わかった。じゃあオレが面倒みる。今すぐ準備しろ。」
「ちょっと待ってよ、じいちゃん!今からって…もうそっちに引っ越し?!」
「決まったことなんだから今やろうが明日やろうが一緒じゃねえか。さっさと支度しろ。」
じじいのお決まりのパターン。
悩んでる暇なんかねえ、思った瞬間がやる時だ。今やれ、すぐやれ。
うちのじいさまってのは何も考えない能天気なお気楽じじいに見えるだろ?
実は全く違うんだよ。
あの決断力、判断力、行動力ってのは全てが研ぎ澄まされた動物的とでもいうか、直感に裏打ちされもので、その代わり不可能だと思ったらあっけらかんとNOを叩きつける。
要するにあのじじいの世界にはYESかNOか、白か黒か二つに一つ、中立やグレーゾーンなんて曖昧ないものは存在しない。
実にシンプルだろ?人間シンプルが一番ストレスなくていいんだよ。
ただし、こんな自由な振る舞いで無傷でいられるわけはないが…
他人事って様子の兄と父、心配そうな母、そして笑顔で送り出す先生の顔を眺めながらオレはジジイのジープ(クソオンボロのパジェロ)に乗り込み、家を後にする事となった。
「頑張れよ!」
先生の声が耳にこびり付いてしばらく離れなかった。
ーーーーーーー
久々に来たじじいの家、築何十年だ?
木造二階建て、地震が来たら一発で潰れる耐震強度マイナスとも言えるカビくせえ家。
庭にはニワトリが何匹もいて、生い茂った雑草に囲まれた、良く言えば”古き良き昭和”の家、悪く言えば”ただの廃屋”ってとこだ。
風呂は当然シャワー無し、ヒノキでできたクラシックな浴槽。
豚小屋よかまだいいが、学校まで山道歩いて50分もかかるしクソ学校は自転車禁止だぜ?こいつは参ったね。
まるっきり山籠りの修行僧だ。
家に上り込むと心配そうなバアさんを尻目に、じじいはオレを部屋に案内した。
ーじじいの”書斎”誰も入ったことない開かずの間。生まれて初めて充てがわれたオレ専用の部屋だ。
ガラっと引き戸を開けるとじじいの家特有のカビ臭さに加え、やけに鼻につくインク臭さ。そして目の前に広がる本の山。
こいつにはビックリしたな。
本の数にも驚いたが、それ以上にじじいの有り得ないほどの読書量。
その殆どが日本の文芸作品だ。
しかもオレの大好きな江戸川乱歩大全集まであるじゃねーか!ワオ!マジかよじいちゃん!
こいつは正におあつらえ向きだ。
じじいがこれ程までに読書好きとは知らなかった。
ーいや、果たして本当にじじいは読書が好きだったのか?このとてつもない数の本、それはじじいが”日本人”になろうともがき苦しんだ痕跡の一部だったんじゃないか?今になって考えてみるとそう思えてくる。真実は本人のみぞ知るだが。ー
そういや、その本の山に紛れてこっそりヒトラーの”Meinkanph -我が闘争-“かあったんだよ。同胞達を大量虐殺した謂わばじじいにとっちゃ最も憎むべき相手だぜ?
ユダヤ教徒にとっちゃ燃やしたくなるような最低の本だろ?ところがこのじじいにはナショナリズムも同胞観念も持ち合わせてないわけだ。”母国”が存在しないじじいにとっちゃむしろ敵の方に興味があったんだろうよ。
そいつを読んで何を感じ、何を思ったのかは知らないが、その頃のオレにとっちゃヒトラーなんてのはただのチョビ髭のおっさん。さあこれからどうしたもんかと頭を悩ませていた…
「じいちゃんさ、今度オレ陸上の大会に出るんだよ。400メートルの1年代表。観に来なよ。」
なんだかんだ言って心配してるであろうじじいに中学の状況を伝えるってのもがあったが、じじいは一度として学校に来たこともなければ、行事にも参加したことがなかった。何となく人前に出るのを避けているようなそんな印象だった。
「そうか、オレは行けないけど頑張れよ…」
その時のじじいの横顔はやけに悲しそうでね。
差別的な目に遭って欲しくなかったというじじいなりの気遣いってやつだろうが、しかしじいさんよ。
オレはとっくに差別ってやつには慣れっこなんだぜ?生まれた時からこちとらマイノリティじゃねえか。人種問題以前に貧乏人ってラベルが貼り付けられてるからな。
「自分らしく生きることを説いてきたあんたが自分を恥じることないだろ?」
今のオレならそう言えたかもしれないが、13歳のオレには何も言えなかった。
そもそもこの時はまだオレはじじいは日本人だと信じて疑わなかったから。
なんせ、母に一度だけじいちゃんはガイジンなのかと聞いてボコボコにされたことがあったわけだし、一切考えないようにしてたんだよ。
じじいとの共同生活、最初の一カ月は最悪だった。毎朝6時にはニワトリに起こされるわ、休みの日には山へ狩りに連れて行かれるわ、部活からヘトヘトになって帰ってきたら酔ったじじいからしょうもねー女の話聞かされるわ…ちょっと待ってくれよ、オレは青春を謳歌したかったんだぜ?何でオレだけこんな原始時代の暮らししなきゃいけねえんだよ?スーパーファミコンは?クールなCD付きのコンポは?今は平成なんたよ。とまあ毎日文句の連続だった。
しかし人間ってのは順応するもんで慣れてみりゃこの生活も悪くないんだぜ。
ニワトリとも友達になれたし、何よりも自然と仲良くなれた。生きることとは何かを考えさせられたいい時間だったよ。
半年後には慣れたもんで早起きしてじいさんとばあさんに産みたてほやほやフレッシュな目玉焼きとじじいの大好きな甘ったるいベトナムコーヒーを振舞ってたくらいだ。
この頃のオレを支えてくれたのはガンジーの本だった。非暴力、非服従。
オレはこう見えてガンディズム信奉者なんだよ。
戦争せずにインドを解放に導いた男。
オレ達アジア人にとっちゃブルースリーと並ぶ英雄だろ?
ー束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。ー ガンジー
逆境精神なんて言葉があるがこの男こそそいつを貫ぬき、見事に体現した人だ。
まだまだ、こんなことで挫けてたまるか。
やってやる、何かを。
男になるんだよ、本物の。
嘘偽りない自分ってやつにならねば。
ーーーーーー
とある土曜日、近所をブラブラしてるとよく知った連中が駐車場に溜まってた。
ライトにヤンキー化し始めてきたこの時期の田舎少年ってのは駐車場に溜まってコソコソくすねてきたタバコを吸いながらだべるなんてのが、今考えてみるとダサい話だが当たり前の時代で、ケータイもネットもないあの頃、仲間を見つけるってのはストリートが一番だった。田舎じゃ行き場のない奴らは大抵、同じ様な場所に溜まってた。
そこで新たな友達ができたり、新しい悪さや遊びを覚えたり、時々くだらねえケンカに巻き込まれることもあったが、思うにこいつが”ストリートカルチャーの始まり”ってやつだと思う。
”ステキな出会い”なんて場を作って商売が成り立つ現代の21世紀からしたら信じられねえだろ?
昔は良かったなんて言う気は更々ないが、しかし日本ってのは90年代までは今より幾分かソーシャルな国だったんだよ。
ーで、そこには同じ学校の友達が4人ほどいて、記憶が確かなら当時親友だったトシクニ、サカエ、アキラ、それからクラスでオレの斜め前に座ってた仲間では紅一点のヒトミちゃん。
「よー!こっちこいよ、ヒトミがスゲーことやってんぞ!」
小走りで近寄ってみると彼女、スケボー走らせてオーリー決めてんだよ!
小さなラジカセ置いて、Black FlagのMy warかなにかを爆音で鳴らしてさ!めちゃくちゃクールじゃねえか!学校じゃセーラー服着て真面目に勉強してる女子がだぜ?こいつはマジでぶったまげたよ。
クソ、完全に負けた…。
彼女は圧倒的に、クラスの誰よりもクールだった。
オレは潔く敗北を認めすぐさま言ったよ。
「オレにスケボーを教えてくれよ!」
「いいけど板持ってるの?(笑)」
ああ、そうだった…うちは貧乏だった。
しかしオレは何が何でもこのクールな遊びに参加したかった!このままじゃ平凡なヤンキー中学生になるのは目に見えてた。
この新時代、平成においてヤンキーなんてやってられねえだろ?
こうなりゃ盗んでくるしかねえ!
いや、待てよ、この田舎町にこんなクールなスケボー置いてる店なんかあったか??
「なー、ヒトミちゃん、板どこで買ったの?」
彼女は一言こう呟いた。
「…東京。」