第1部を書き終えて
40歳という人生の折り返し地点を迎え、初めて自分の過去に自伝という形で真剣に向きあってみたんだが、これがなかなかどうして大変な作業だった。
記憶力はいい方だと自負してきたはずなんだけど、30年前の記憶となると随分と忘れてる事が多くて自分でもビックリしたよ。
なんせ小学校の同級生の顔すらあまり覚えてなくてさ、断片的な記憶を頼りに、過去の自分と今の自分が交錯するような形で書かざるを得なかった。
つまり今のオレがどんな人物か読み手はわかってる体で書かないと表現できなかった。こういう風に書き進めないと事実を淡々と書き連ねるだけの味気ないものになりそうだし、当然ながら子供の頃の気持ちに100%立ち帰ることってもうできないだろ?だから客観的に過去を見つめるもう一人の自分、つまり40歳の現在の自分が必要だったわけ。
まあ少々読みづらさはあったかもしれないけどそこはご勘弁を。
それともう一つ
幼少期の壮絶な母からの暴力について。こいつも描くのが難しかった。
これはあまり人には話してこなかったことで、オレ自身思い出したくない過去だったせいか、書くのが辛くて細かく描写できなかったなあ。
マイルドに書いてしまったけど
実際はもっと壮絶で深刻なものだったよ。
補足しておくと、オレの反抗期が始まったのは小学三年生の時で、母にぶん殴らたあと信じられないくらい怒りが込み上げて、熱々のお湯が入ったヤカンをぶん投げたことがあったんだよ。
ブチ切れた母はオレを気絶するまで叩きのめした。
その頃のことを書こうと思い出してたら書いてる途中で過呼吸になっちゃってさ(笑)
そんな訳でまるまる一話削ってるんだよね。
しかしまあトラウマってのはタチが悪いよな全く。
かなり暗い話ばかり書いたけど、勿論楽しい思い出もたくさんあったんだよ、ただ若い奴らに向けて書いてるのに過去を美化して描くのってクソじゃん。
だからあえて悲惨な出来事やオレ自信がやらかした出来事を抜粋してみた。
昔は良かった”なんてそもそも感じたことないし、バブルの頃の日本って世間が言うほどそんなに素晴らしかったとも思えないしな。
ウチにはバブルの恩恵ってやつは無かったし、寧ろその真逆であの時代において有り得ない程の貧乏はまず問題のある家って感じだった。
30年経った今になって格差なんて言われるようになったが、昔からあったんだよな。
それとあんまりオレの生い立ちについて可哀想とかも思われたくないかな。
何せオレの親友たち、ドレッド頭のあの野郎、北アフリカからやってきたイカれたあいつらなんかも、オレと同じく壮絶な子供時代を過ごしてきててさ、笑い話かのように”銃で撃たれた”話なんて聞かされた日にはこれが悲劇だなんて口が裂けても言えるわけねーだろ?(笑)
つまりさ、何ごともなく”一般的な家庭”に産まれて育つってのはマジでラッキーなだけで、オレみたいな連中はどこにだっているんだよって話さ。
第1部はこんな世間様が言うところの”普通じゃない”奴だって必死に生きてんだぜ、あんたと同じようにってことが言いたかった。
普通じゃない家庭で育ち、普通が何なのかわからないまま、それでももがきながら立ち向かう様が伝わってくれたら嬉しいかな。
これは決して特別なことなんかじゃない、苦しみながらもがいて必死に生きてる奴はあんたのすぐ隣にいるかもしれないよってね。
そして人生最大の恩師、小川先生の話。
この話、実は以前一度書いたことあるんだよね。
若い奴らに聞かせたことも何百とあるんだけど、これを一部の最後に書こうというのは最初から考えてた。
先生はもっと生きたかっただろうし、無念を晴らしたいという気持ちもあり、先生の教え子だっていう誇りもあるし、先生の教えを伝えることが先生への弔いでもあると思っているから。
今、オレが若者達と一緒に色んなものに取り組んでいられるのは先生の教えのお陰さ。
同じ目線で話すこと、同じように悩んでみること、とにかく話をまず聞くこと、その重要性は先生と過ごした1年間で学んだことが基礎になっている。
もちろん今も悩んではいるよ。
世代の違う若者とどうやって付き合っていくか、これは大人の役割だからね。
それにしても今考えたから先生はとんでもなくできた人だよなあ…先生って言っても当時28歳の若者だぜ?
みんな28歳のとき何やってたよ?子供達のために、未来のためになんて考えて行動してる奴なんているのかな?
今までいろんな奴らに出会ったけど、これまでの人生であんなにも未来に貢献しようとした28歳は残念ながら出会ったことないかもなあ…
先生と同じ40歳になった今、オレは先生みたいな素敵な大人にはなれなかったけど、若者達の未来を考えられる大人にはなれたつもりではいるかな。
オレみたいなのは余計なお世話、面倒なおっさんと感じる人もいたかもしれないけど、ギリギリ老害扱いされずには済んでるとは思う。多分だけど。
それから強烈すぎるうちのクソジジイ。ジジイはある意味この自伝の中でもう一人の主役というか、代弁者の一人であり、これもまあ極一部の友人にはよく知られた話ではあるんたが、
オレが腐ず生きてこれたのはこのじいさんの存在があってこそだ。
あんな強烈なのが生まれた時から近くにいるってのはオレにとっちゃある意味ラッキーだった。
生まれたときから偏見って概念がオレには一切なかったのはじじいの影響で、これが後にロンドンでの生活を素晴らしいものにしてくれた。
半径数キロの世界を”半径9600キロ”にしてくれたのは間違いなくじじいがいたから。
なもんで自伝のタイトルnaughty kid(悪たれ小僧)はじいさんへ捧ぐという意味が込めらてる。
まあ、じいさんからは
“昨日食ったお前の飯なんて誰も気にしやしねえ。そんなことよか明日をどう生き抜くか考えろ”なんて言われちゃいそうだけどさ。
あのじじい、日記とか過去の出来事を一々残すの大っ嫌いだったからあえてネタに使わせてもらうよ。孫なんだからそのくらいいいだろ?
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さてさて、第2部からは中高生編になりますが、どこをどう書いていこうか頭を悩ませてる。
各章10話以内に収めるというのがオレの中でのルールなんで6年間で起きた出来事をどう抜粋していくかなんだが、大ぴっらには書けないようなヤバい話もあるし、じっくり取り組んでいこうかね。
そんなわけでよかったらもうしばしオレの与太話に付き合ってくれたら幸いです。
ではまた第2部で。