Naughty Kid 怒りの日

Anger is an energy, it really bloody is

Kids in the city

「よう、一緒に東京に行きたいか?」

小学4年生の夏休みのある日にじいさんにいきなり言われた。

 

オレは二つ返事で

「行きたい!いつ行く?」

欲しいものをねだっても何も買ってくれたこともねえじじいだが、たまーに遠くへ連れ出してくれるのがじじいのいいところだった。

しかもじじいにしちゃ珍しく山でも川でも海でもなく大都会東京。

見たことない風景、見たいことない人々、これはワクワクドキドキの大冒険だろう。

 

「兄貴も一緒に行く?」

 

「いや、オレはいい…」

 

兄貴はオレとは真逆の性格で、知らない土地や新しいことをするのが怖いと感じてしまう”前例が無いのでできません”と平然と言ってしまえる典型的な日本人気質ってやつが邪魔をしてるタイプだった。

馬鹿め、経験しなきゃ何も始まらねえよ。人生は短いんだぜ?悩んでる暇なんかあるかよ。

 

ー兄貴は母親への愛情が欲しいがあまりに自分らしさを全て捨てた、奴の退屈な人生そこから始まった。

大人に気に入られたいが為にどうやったら気に入られるか、どうやって立ち回ればいいか、そんなことばかり考えてた。結局そのお陰で一生涯続く親友もできず趣味も持てず、個性ってものをガキ時分にあっさりと捨てちまった。自分では何が良くて何が悪いのか、何が好きで何か嫌いか判断できないのさ。

他人に合わせなきゃ何もできない空っぽの人生を選ぶなんて不幸としか言いようがない。ー

 

あの頃の東京って言えばクソ田舎育ちのオレから言わせりゃ外国へ行くようなもんだ。テレビや雑誌の世界の話、まるで絵空事で現実にあるって感じしなかったな。

目的はよくわからなかったし、じじいも何しにいくか一々説明しなかった。

大体じじいいはつも後になって目的を言うんだよ。

“回りくどいことは抜きだ、行って見りゃわかんだろ?”こんな調子さ。

 


ダイナマイツの”トンネル天国”さながらートンネル抜けてオンボロ列車で繰り出そうーってな具合でじいさんと二人で2時間半の小旅行。ガキの2時間半っていやあ5時間にも感じるだろ?オレにとっちゃ旅立ちって感じだった。

 

池袋に着いて、真っ先に確か東口を出たたっけな?今は無き”さくらや”かなんかを見て衝撃を受けたの覚えてる。

それから見渡す限り見たこともない高さのビル郡!蟻みてえにゾロゾロと押し寄せる人の波!山も川も、鳥のさえずりも虫の声も、土もない!

なんだこの世界は?!

 

「じいちゃん、今日は祭りかなんかなの?」なんて間抜けな質問しちまったよ。

オレの住んでる地域とはまるっきり別世界!ロアルド・ダールの”夢のチョコレート工場”もしくは不思議の国のアリスの世界にでも迷い込んだ気分だ。

 

しばらく駅の前で待っていると人相のあまりよろしくない小汚いオッサンがフラフラと寄ってきて

 

「よう、久しぶり!」

意気揚々とその”小汚いオッサン”はじいさんに話かけた。

 

何やらじいさんの古い知り合いらしく車で迎えに来てくれた。

オレ達が車に乗り込むとそのオッサンは「せがれか?」

とじいさんに聞いてた。

 

このやり取りは何百と聞いてきた気がする。どういうわけかじいさんとオレはしょっちゅう親子と間違われてた。

オレも今や年齢不詳なんて言われるようになったが、じいさんもまた常に年齢不詳だった。

成人して以降“デニムを一切身につけない主義”になったことを含め血筋ってやつかもな。

 

その親切で小汚い運転手に目をやると左手の指が二本なくてさ、おいおい、マジかよ!このオッサンヤクザじゃねえか?

 

じじいの”東京時代”に何があったかは知らねえが、交友関係はかなり広かったんだろうなと容易に想像つく。

家庭も持ってない、”日本人の皮”を被ったあの頃のじじいは本物の自由人だっただろうよ。

 

ー自由と一口に言っても”Freedom”と”Liberty “では大きく意味が異なる。じいさんは間違いなく前者であり、オレの人生観における自由もfreedomで、後者はヒッピー臭くてナンセンスだ。

あのじじいを間近で見て育ったオレはカウンターカルチャー世代の連中が言う自由というのが酷く胡散臭いものに感じるようになった。反体制、自由への闘争、それも悪かないがじじいは明らかにその自由とは違った。奴はオレが出会った中で間違いなく一番のアナーキストだった。ー

 

オレ達は飯でも食うかと上野で降りた。これがまた別世界の光景で衝撃だったな。30年前の上野といえば駅前は鳩のフンだらけ、道は汚ねえし今とは比べものにならない数の乞食と上野独特の臭いを放っていた。

池袋と比べると信じられないくらい汚くて同じ東京とは思えないほどだ。

 

じいさんは歩きながら珍しく昔話をしてくれたっけ。

まあ、ほとんどが女絡みの話しだった気がするが楽しそうな顔をよく覚えてるよ。

どうやらじいさんは台東区に住んでて、浅草上野近辺はじいさんの青春時代の街だったらしく、毎日の様に東京の”悪たれ達”と悪さしてたらしい。

その頃一緒にいたじじいの兄貴はヒロポン売りをするブラックマーケットの住民で、恐らくじいさんも付き合わされてたに違いなかった。

ーじじいの兄はオレが生まれる前にオーヴァードーズで死んじまったが、母親は小学生の頃、伯父さんが注射器でなにやら怪しげなもんを腕に打ってるところを何度も目撃したらしい。

曰く、真っ黒いロングコートを着たカッコイイ足長おじさんだったらしいぜ。いかにウチが狂ってるのかよくわかるエピソードだよな。ー

 

 

 

「お前は間違っても愚連隊になんか入るなよ。」

 

この時じじいはこんなことを言っていて、その表情にはどこか後悔の念みたいなものが感じられた。きっと”何か”あったんだろう。人には言えねえ”何か”がな。

何も聞かなかったよ。

そりゃあ聞くだけ野暮ってもんだ。

感じ取ったのならそれでいい、

じじいとオレの関係はそんな感じだ。

 

次に行ったのは浅草だった。

観光といえば誰もが浅草寺に行くだろ?オレだって海外の連中連れてぐときは浅草寺なんだが、じじいは寺なんかどうでもいいってなもんでさ、真っ先によくわかんねえ居酒屋に行ったんだよ、その時にスゲー強烈だったのが当時あった場外馬券場近辺。

真昼間っから酔っ払って汚ねえオッサン共がどなり散らしてんだよ。

ありゃあ田舎のガキには強烈だったぜ。

 

ロッキー1のフィラデルフィアみてえなまさにスラムを絵に描いたような光景で、上野も凄かったが浅草も凄まじいインパクトだった。

 

ーあれから30年後にまさかオレ自身があの強烈な酔っ払い達と同じように酔っ払って、浅草で騒いで飲み屋を追い出されるようになるとはこの頃は夢にも思わなかったがー

 

居酒屋に行くと一人、また一人とじいさんの昔の仲間達が来て談笑が始まった。金持ち風の人もいれば、柿の腐ったような酒臭えじじいもいりゃ、いかついおっかねえおじさんもいた(実はそのおじさんは青汁のCMでおなじみの某役者さんだったらしい!)

 

「それで、今日は何しにわざわざ東京に来たんだ?」

 

「久々に姉ちゃん会いに来たんだよ。」

 

待てよ…じいさんに姉なんかいたか?

オレがその頃知る限り、オーバードーズで亡くなったじいさんの兄、そして”虎次郎”って名前の更に上の長男がいてその人は会ったことある。

 

ー 漢字一文字違うがその名を聞いて誰もが”男はつらいよ”の寅さんを想像するだろ?ところがウチの”虎さん”はユリゲラーを禿げにした感じで、あの寅さんとは似ても似つかねえスプーン曲げでも出来そうな顔立ちなんだよ。

そのせいかウチは一家でユリゲラーのファンだった。オレの伯母さん(母の妹)なんてユリゲラー初めて見たとき虎さんを思い出して涙すら流したくらいさ。マジでそっくりなもんだから親戚かなんかかと思ったもんな。ー

 


まだ知らない、会ったことない親戚がいたのか…?しかも東京に。

2時間ちょっとの”飲み会”を終えたあと、オレ達は北千住に向かった。

そこには一軒家があり、何やら家族で住んでいる生活感を漂わせてた。

じじいがインターフォンを押すと、ガチャっと扉が開き「いらっしゃい!」と元気のいい声とともに見たこともないおばさんが現れた。

 

歳はじいさんくらい、全身真っ黒いダボっとした司祭みてえな服、胸元には六芒星のネックレスが輝いていた。

目元はパッチリ、鼻は細長く高くてじいさんに似ていた。

これがじじいの姉さんか…??

 

リビングに通されると開口一番

「この子あんたにそっくりねえ、きっと女泣かせの子になるよ。」とかなんとか。(残念ながら女の子にモテた試しはないが)

 


不思議な雰囲気の人で何だか異世界からやって来た、オレからしたらまるっきり異星人って感じだった。

 

「何か辛いことでもあるのかい?」なんて唐突に聞かれたりしてさ、どんな顔して突っ立てたのか心配になるほどヤバい表情だったのか、それはよくわからんが何となく彼女には感じるものがあったのかもな。

オレは不気味なガキだと思われることが多かったが、おばさんとオレはまるで昔から知ってたかのような、やはり他人では無いという感覚がお互いにあったような気がする。

 

ビリーホリデイとかあの辺の古い曲かけながら話してさ、おばさんの作ったパンプキンスープとかベーグルをご馳走になったっけな。

何だか本当に外国に来たような気分だったぜ。

 

おばさんの左手の中指にはスゲーカッコいいスパイダーのタトゥーが入っててさ、オレはそいつが凄い好きだったな。「おばさんは蜘蛛が好きなの?」って聞いたんだよ。

 


そしたらおばさん

 

「蜘蛛をよく見てごらん。小さい体で自分で糸を紡で、身を守り、縄張りを作って獲物を捕らえるの。何て頭が良くて勇敢な生き物だろうね。」なんてことを言ってた。

じじいと同じく”生き物から学べ”だ。じじいの兄弟達はそうやって成長した人達だったのかもしれない。

日本ではない”どこかの国”で。

 

何故、じじいがオレを東京へ連れて行ったか真意はわからないが、しかし、今になって思えば、あれはオレにとって自身のルーツを知る旅だったのかもな。

 

オレはこの数年後、あの奇妙な六芒星、蜘蛛のタトゥーの本当の意味を知る。

 

…うちはユダヤ教徒だった。