わかってたまるか
We are all in the gutter,but some of us are looking at the stars
ーオレ達はドブの中にいる、だがそこから星を眺めてる奴らだっているんだ。「オスカー・ワイルド」ー
ーー中学生、13歳、青春の幕上げ。
ただし、かくこの語り部たるオレにとっての”青春”とは読書諸君らの周知の通り他とは一味違うであろうことは容易に察しがつくだろ?
オレはどういうわけか新しい場所へ行くたびに必ずといっていいほどトラブルから始まるんだよな。
小学校、中学、高校、新しい職場、新しい街…ありとあらゆるところでだ。
別にわざとやってるわけじゃないんだが、しかし、そうやって存在感を示さなきゃいつかまた”透明”になっちまう
そんな恐怖が心の隅っこにあるのかもしれない。
中学生になったオレは何をしてるかって?一番最初の記憶を辿ってみると…
ありゃあ5月だったか。
新米英語教師の”戸田”ってケチな野郎と言い争ってた。
奴は先生になったばかりだったと思うが、機嫌が悪いとイチイチ生徒につっかかってくる陰湿な野郎だった。
今となっちゃ信じられないだろうが、当時のオレは英語がからっきしダメでしかも授業が退屈だったもんだから、身が入らなかったというよりもはや苦痛に近かった。
それでも耐えて”それらしく”振舞っていたんだよ。問題は起こさず、中学の生活を楽しみたかったからな。
ところだ、この戸田って野郎は出来の悪い奴をわざと当てて公開処刑するって悪趣味を持ってたんだな。
答えられなけりゃ小馬鹿にしたように笑うんだよ。ひでえ話だろ?
あの野郎ニヤケ面で
「まーた答えられねえのかよ。お前やる気ないならもう授業受けなくていいぞ。」こんなことを言い出した。
流石にこれ以上は我慢してられねえ、こんな横暴にはオレの性格上、流石に”堪忍袋の緒”ってやつを緩まざるを得ない。
お望み通り奴の授業だけは受けまいと3回連続で保健室のおばさんに言ってサボらせてもらった。
保健室のおばさんは中々理解のあるナイスな人であの学校の大人の中じゃ一番仲が良くてさ、よく話してたもんだから英語の授業のときだけ話を聞いてもらってた。
あのおばさんも退屈してたのか、いい話し相手ができて楽しかったのか”密告”されることなくサボってた。
いいディスカッションだったよ。
確かその時にオレのフェイバリットとなる小説「アルジャーノンに花束を」を教えてもらったんだよな。
「知識は上手く使いなさい。世の中には孤立する人は必ずいるけどいじけちゃいけないよ。」なんて慰められたっけ。
結局、サボりが3週続いた後に呼び出しを食らっちまってたちまち先生に囲まれた。
6年生でおとなしくなってたはずが逆戻りさ。気に食わなきゃ跳ね返る、この性格は直そうったってそう簡単にはいかねえ。
なんで英語の授業だけ受けないんだ?ってくだらねえ質問に答えてやったよ。
「先生が受けなくてていいって言ったんだぜ?だから二度と受けないよ。
オレは一度でも嫌なんて言ったことはないし、先生が勝手にオレを拒絶したんだから行かねえよ。」
そうするとあの野郎
「やる気を出させるために言っただけで本位じゃない。」だの「憎くて言ったんじゃない。」だのと言い訳のオンパレード。
全く話にならねえ、自分の言葉になんの責任も持てない退屈な野郎だった。
ーそもそもてめえの発言に責任を持てなんて言ってる奴らがちょくちょくいるが、大体の場合、そんなこと言ってねえだのあの時はこうだったなどそれらしい言い訳を並べるのが人間ってもんさ。
第一この国の行く末を担う政治屋ですらてめえの言葉に責任なんか持っちゃいないだろ?この国でキッチリ責任を持って発言してる奴なんて何人いるんだ?残念ながら発言に責任を持てる奴なんてのはそうはいないのさ。ー
戸田って野郎もそうだ。
弱い者に強く、強い者には弱い。
それらしく振る舞ってはいるが上の連中に事実を突きつけられりゃメッキがあっさりと剝げ落ちる。
そりゃそうだ、中身なんて空っぽの薄っぺらい野郎だしな。
一切態度を改めないオレに業を煮やした連中は仕方ないと即座にあの”悪魔”に連絡しやがった。
オレの通ってた中学校はどういうわけか何か起きると決まって親に連絡する面倒なところだった。
先生同士も仲悪そうだったし、”自分の与えられた仕事以上のことはしたくない”そんな感じがアリアリと出てた。
いかにもビジネスライクな”ブリキのロボット”達だった。
なんてこった…中学校はもっと楽しいところかと思いきやあてが外れちまった。
母は呆れてた。
結局何も変わっちゃいない。
何が気に食わねえんだ?何を考えてるのかわからない。そんな様子だったな。
そりゃそうだろ。
100パーセント簡単に理解されるようなナイスな野郎だったことなんて一度もないんだぜ?この頃にはわかって欲しいなんて気持ちは更々なく、寧ろオレの感情を一言で表すなら
「わかってたまるか。」
まさに思春期真っ只中だった。
ーーーーー
程なくしてオレ達は”川越バス遠足“なるイベントに参加させられるハメになった。集団行動が極端に苦手はオレにとっては最悪な行事だが、何とか楽しむ術を見いだそうと思って仲間とあれこれ相談してはいたが、川越のことなんてちっともわからなかったし、情報もなかった。いや、担任から説明かあったのかもしれないが、全くと言っていいほど記憶に残ってなかった。
バスで2時間程度。
川越に着いて、菓子屋横丁だとか古ぼけた鐘なんかを眺めながら一同で練り歩く。
オレの大嫌いな集団行動ってやつだ。
軍隊じゃあるまいし、全員で同じ格好してゾロゾロと脇目も振らず行進…くだらねえ。
ーこの国のしょうもねえ軍国主義教育、精神論は世紀末の足音が聞こえ始めた90年代に入ってからも色濃く残ってて、体育祭でも軍隊の真似事をさせられることがあった。
オレはこの手の前時代的な考え方の押し付けが死ぬほど嫌いだった。
遠足も体育祭も何もかもまじめに取り組めなかったのはこいつのせいだ。
“未来を背負って立つ子供達の育成”なんて言っておきながらやってることは50年代から変わっちゃいない。ー
ようやく自由行動の時間になるとオレ達は早速飲みものでも買おうかと少ないお小遣い叩いて自販で買って飲んでると、ソッコーで先生がやってきて
「お前ら何やってんだ!」
怒鳴り散らしてきた。
誰もがは?って感じだよな。
何も悪いことはしてないし、犯罪行為でもない。
しかし先生連中は怒り心頭で
「お前らバスに戻れ!」
とまあ大激怒してやがるんだよ。
「自由行動時間の買い食い行為は禁止と言っただろ?聞いてなかったのか!全員反省文だ!バスの中でおとなしくしてろ!」
こんな酷い話があるか?
たかだかジュースを飲んだだけで重罪扱いだぜ?”規則違反”の名の元に始まる横暴さ。
仲間達はさっさと終わらせてテキトーに時間つぶそうぜって感じだったが、オレは腹わた煮え切らねえ。
徹底的にこの横暴に対して糾弾する文書を書き殴ってやったよ。
何がいけなかったのか、何を反省すべきか、そもそもこの規則とやらは何のために存在するのか?こっちにだって言いてえことを言っていい権利はあるだろ。
翌日、オレだけが呼び出しをくらい、大目玉を食らった。
何一つ反省してない、なんだこのふざけた文章はと槍玉に上げられたよ。
おいおい、オレは至って真面目に書いたんだぜ?ふざけた文章はいくらなんでもないだろ?
結果は見るも哀れ、語るも哀れ、オレに命じられたものは部活動、陸上大会への強制参加だった。
最悪だ…遊ぶ時間がなくなっちまう。
陸上部のないうちの学校は部活動のあとに陸上の鬼特訓が待ってんだぜ?
帰る頃には20時とかになるのさ。
一番不人気かつ、オレには全く似合わない、そもそも一ミリの興味も楽しみすら見出せないバレーボール部に入った。完全なる無気力状態で、オレはあまりのやる気の無さに二日目には”先輩”とやらに囲まれた。
「おい、てめーやる気あんのか!」
「いやあ、あんまり無いんですよね、無理矢理やらされてるだけだし。」
こんなふざけた態度でいたら、瞬く間に殴る蹴る、完膚なきまで。クソ痛え…
これが世にいう鉄拳制裁ってやつさ。
どうやらこの国には歳を食ってりゃ下に何してもいいなんてふざけたシステムが大昔からあったらしい。しかも誰一人疑いもせず甘んじて受け入れなきゃいけない。
このシステムを否定しては生きては行けない世の中だってことをこの日生まれて初めて知らされた。
ああ、なんと美しい国、日本!
この国は理不尽な暴力を誰に咎められるでもなく通せるらしいぜ!世界の皆さんこれが世界有数の平和な国ニッポンですぜ!ヤッホー!
来る日も来る日もボールと格闘し、終われば水も飲む暇なく走らされる。
オレの学校生活はまるっきり軍隊に様変わり。
どうせろくなことしねえなら遊ぶ隙を与えなきゃいい、そんなところだろう。
フラストレーションも限界に達し始めたある日、当時親友だったトシクニから呼び出された。
ーこの野郎は小5の時に喫煙ブームを持ち込んだ張本人であり、プロ野球選手を目指して挫折した父親に野球を無理矢理仕込まれたが、鬼のように扱かれ挙句、肩を壊し行き場を失った被害者だ。
生まれた時から夢を押し付けられ、たった11歳でその道を絶たれちまった。つまり奴は同級生の中で誰よりも先に人生の挫折と絶望を味わった。可哀想な奴だった。何より本人が何をしなきゃいけないのか分からず親にも蔑まれた結果、見当違いの道へ踏み外してしまった(奴の哀れな顛末は後に話すことしよう)ー
13歳なのに背は170cm近くあって、頭は悪いが腕っぷしはめっぽう強く、当時は最もヤバイ奴だとかイカれた野郎だと思われてた。実際のところ周りの奴の評価は勘違いも甚だしく、こいつの頭は常にクリアで、全てわかった上で悪さしてた。ただオレとは違う意味で冷めてただけだったんだよな。
要するに奴にとっちゃ野球人生の道が断たれた時点でもはや人生暇つぶしでしかなかった。
“どうなろうが知つたこっちゃねえ”
そんな態度だった。
奴は隣のクラスにいたんだが、話を聞けば、先生にコケにされてムカついた挙句、授業中先生に向かって椅子をぶん投げた罪で地獄の柔道部に強制入部、しかも相撲の大会への強制参加が決まったらしい。
オレよりも酷え状況じゃねえか。
話をしてるうちに段々怒りが込み上げてきた。
いや、そもそもオレ達は常にムカついてた。ありとあらゆるものにだ。
実際、この苛立ちが何なのかもわかってなかったし、どこから来てるのかもわからなかった。
思春期ならではの感情だったのだろうか?それともこのクソみたいな街の環境がそうさせたのか?
次第にオレ達は”衝動的に”何かをしでかすようになっていった。
クラスにエロ本を持ち込んで見つかって親を呼び出されたり、万引きで捕まったり、はたまた戸田の野郎の車のミラーを破壊したり、学校サボってみたり、思い出せないくらいある悪さの連続、ろくでもない事をしでかす日々が続いた。
親に殴られ、先生に殴られ、先輩に殴られ、それでも衝動は抑えきれなかった。
“知ったこったゃねえ”
開き直ったオレ達コンビはある意味無敵だった。
母は次第に疲弊していき、顔を合わせても口を聞かなくなっていった。
事あるごとに学校に呼び出され、何百回とオレを殴り怒鳴りつけても繰り返される悪ふざけに、いよいよあの悪魔も耐えられなくなってきたらしい。
オレは小学生時代からすっかり様変わりしていた。
あの時点においては悪魔は母ではなくオレの方だった。
ーーーーーー
ある日、部活動という名の”刑罰”を終え、ヘトヘトになりながらあのクソみたいな豚小屋のドアを開けると、そこに意外な人物の顔が飛び込んできた。
何故この人が…どうしているんだ?
いや、誰が何の用で呼んだんだ…?
ここでまたもオレの生活がさらに思いがけない方向へ進んでいくことになる。
そう、青春の幕開けは実はここから始まるのだ。
それは1993年、夏の夜。
家の周りはカエルの大合唱がやかましく鳴り響いていた…