Naughty Kid 怒りの日

Anger is an energy, it really bloody is

悪たれ小僧

母方の祖父。

オレの最初の親友であり愛すべきクソじじい。

 

肌は浅黒く、髪の毛はカーリーヘア、髭面で瞳の色は茶。

革靴を履くことをとことん嫌いスーツにオールスターというトム・ペティを先取りした出で立ち。

出身国不明、本名不明。

職業ですら家族は誰一人知らない。

噂によると服の染め物を専門とするアート系の仕事をしてたとかなんとか。

 

 

 

ーじじいの姉、大伯母さんがユダヤ教徒であることイスラエルへの特別な感情から察するに中東の遊牧民であることだけはわかってはいるが実際のところ謎だらけであるー

 


自然をこよなく愛し、昔話は禁句と言っていいほど話さない、いや、話してはいけない空気が常にあった。

テレビは野生の王国以外まともに観たことはなく、飲む酒といったらウィスキー、そして赤ワインに大量の砂糖をぶち込むという謎の酒を飲んでいた。

ヘビースモーカーであり、時々、葉巻をふかすこともあった。

 


偏屈で変わり者のこのじじいは実家から車で30分離れた山のふもとにばあさんと住んでいて、中学に上がったオレは度重なる問題行動の末、ついに親が音を上げ(ざまあみやがれ)めでたく家を追い出され、このじじいに預けられることとなった。

じいさん子だったオレは昔からじじいの話だけはよく聞くし、家族に散々迷惑をかけてきた(実際何があったかは知らない)じじいに責任をなすりつける意味もあったらしいが。

 


共同生活が始まりほどなくしてじじいにこう言われた。

 


「真っ先に友達にならなきゃならないやつを知ってるか?人間が生きる上でまずやらなきゃいけないのは自然と友達になることだ。」

 


そう言ってじいさんに山に連れていかれ、猟銃片手に野うさぎ狩り、イノシシも捕まえたし、山菜を採りにもよく行った。

川では魚を釣り、家ではニワトリのお世話。近所にはコンビニもスーパーもなく、完全に自給自足の世界に突っ込まれたのさ。

同級生がドラクエかなんかで盛り上がってる間、オレはひたすら自分の食料をせっせと探してた。

最初は嫌で嫌で仕方なかったよ。

ガキの世界にだってカルチャーはあるし、重要なトピックに乗れなきゃ話ならないだろ?

だが生きる為には働かなきゃならねえ。これ以上空腹はごめんだ。

 


“与えられた仕事”の中でもニワトリの世話は楽しかったね。

毎朝、産みたての卵を取りに行ってありがとうって挨拶するのが日課だった。卵を取り上げる度にちょっと寂しげな顔をするあいつらが何とも愛おしくてさ。

だから心からのありがとうを毎朝伝えてた。

朝5時になるとやかましく鳴く奴らに最初は鬱陶しく感じてたのにな。

 


“命を頂いて人間は生きている”

それを実感すると全く別の感情が生まれるってもんさ。

オレにとってこの期間は非常に重要なものでかけがえのない貴重な体験だった。

 


生きることの根本、衣食住の食について学ぶには最高の環境だったと思う。

草や木花の美しさ、川の流れを見てるだけで心が穏やかになり、食べ物がどこからやってきてどのように人間に捕食されていくのかといった命の尊さを考えることができた。

自然に対する敬意はその辺のインチキヒッピーよりオレの方が上だぜ。

 


ー今でも酔っては自然に対する話はよく喋るんだが、自然を愛せない奴は間違いなくクソだ。

生きてることに感謝もできない、生命の尊さを理解できないなんてどれだけおごり高ぶった奴らなんだ?

そのくせブタみたいに飯にがっついて「ああ、生きるのはなんと辛いことなのか」なんてそれらしく嘆く。

おいおい、そいつは裕福の飢餓ってやつだぜ。自然や生き物はオレ達の為にあるわけじゃない。だから敬意を払うんだよ。

人間はそんなに偉かねえ。ー

 


ある日聞いてみた

 


「じいちゃんは何で野生の王国しか見ねえの?」

 

 

 

「テレビなんて嘘しか言わねえんだよ。

真実を映したらみんな都合が悪いからな。

自然は絶対嘘をつかない。

動物をよく見てみろ、自由奔放に生きていても一切隙がない。

生き物の中で不自然なのは人間だけだろ?

オレは生きることを動物から学んでるんだよ。」

こんなことをよく言ってた。

このじじいもまた”自由に生きることの不自由さ”に苦しんできたに違いなかった。

 


オレはじいさんが何者なのか常に興味があった。どうして頑なに家族に対してすら過去を話さないのか。

一体何があったのか。

 


じいさんのいない時、こっそりばあさんにじいさんの過去を聞いたことがあった。

 


曰く、じいさんは周りから「悪たれ」

と呼ばれ大人達に徹底的に嫌われていたらしい。

周りは仲間も多かったがそれ以上に敵だらけ、いや、何か敵がいなけりゃ

熱くなれない人だったのかもしれない。

 

 

 

ー実際オレもそうだった。

何かを愛するとき、無意識に一方で何かを嫌ってた。

仲間が増えれば増えるほど敵も増えていった時期もあった。

何故だかわからないがそうしないと心のバランスが取れない極端な性格だった。ー

 


じいさんとばあさんが同棲を始めたある日、「ちょっと出かけてくる」と言ったまま2年帰ってこなかったこともあったらしい。じいさんの兄(ドラッグディーラーで後にヘロインのオバードーズで他界)がいる東京に遊びに行ったら楽しくて気づいたら2年経ってたと言ってたらしい。

 


女好きのじじいのことだからてっきり自分のことなど忘れて二度と戻ってこない、捨てられたとばかり思っていたのにひょっこり土産まで用意して当たり前のように帰ってきたもんだからビックリしたそうだ。

 


晩年、じいさんに何でばあさん放っぽり出して東京に行ったのか尋ねたら

 


「ふと、行きたくなったから。」

 


理由はこれだけ、本当にこれだけなんだよ。

何となくだけでいきなり行動する。

うちのじじいはこういう人だ。

仮定というものを酷く嫌う。

“行動の先になにが起きるか”なんてことに時間を割くよりも”動いてみたら何が起きるのか”方が大事なのだ。

 

当然ながらうちにはクリスマスは無かった。幼少時代から一度もプレゼントは貰ったことないし、ケーキもチキンもなし、貧乏だったのもあるがじじいは完全なる無神論者だった。

とりわけ、キリストの教えとやらの馬鹿らしさにムカついてる人でもあった。

 

ガキの時分にじじいはこう教えてくれた。

 

「いいか、この世にサンタクロースはいない。欲しい物は自分で手に入れろ。誰かに期待しても何も手に入らない、いつか誰かが何とかしてくれるなんてことは考えるだけ無駄だ。」

 


じじい本人はサンタクロースみてえな髭面で言うんだから笑えるよな。

 


「この世に神はいない、いたとしても認めない。人の上に人を作ると人は下に人を作る。イジメや差別は神の存在を認めた瞬間から始まった。」

神の存在を真っ向から否定していた。

それはキリスト教徒にも仏教徒にもなれない自分のルーツの曖昧さ、コンプレックスがあったのかもしれないが。

 


ーなら人々が言うあの世やこの世とは?

天国と地獄とはどこにあるのか?

なんのことはない、どっちもこの世界にあるのさ。

天国が見つからなきゃ自分で作れ。独り占めにしてる奴がいるならぶん取っちまえ。そうだろ?じいさん。ー

 


小学生になったとき不器用で折り紙が折れずにバカにされた話をすると。

 


「100人ができることをできたからっていばってる奴は退屈な奴だ。

一番凄い奴ってのは自分にしかできないことをやった奴なんだよ。

折り紙なんか折らなくていい、オレだってできねえ。」

 


じいさんは母親と違った。

母は人が当たり前にできることをオレができないとクズ扱いしていた。

どんなことでも否定だった。

お前にできるわけがない、どうせやっても無駄。いつも可能性をぶち壊すのが母だった。

 


じいさんは逆でいつでも味方だった。

 


じいさんにとって世の中の常識なんてどうでもよかった。

心の底から正しいと自分が思ったことには例え相手が何様だろうが唾を吐く。

世界中が敵になろうがたった一人でも唾を吐ける究極の悪たれ小僧さ。

そんなじじいが大好きだった。

 


自分らしく生きることの大切さ、

世の中の”常識”なんてものにとらわれない柔軟さ、どんな人間だろうと受け入れられる寛大さ、生命の尊さ、自然への感謝、大事なことは全てじいさんに教わった。

 


オレの閉ざされた心はこの2年間により少しずつ解放された気がする。

憎しみと怒りに満ちた15年間にようやくほんの少しだが光が射したんだ。

 

オレを救ってくれたのは世の中が祈りを捧げる”神様”ではなく

確実に目の前にいる”祖父”だった。