Naughty Kid 怒りの日

Anger is an energy, it really bloody is

1981

1981年3月。

 

オレはクソ田舎の山奥で生まれた。

2000グラム程度の未熟児一歩手前、右の顔にはアザがあり、また母方のじいさんの血を色濃く受け継いだオレは両親にも、1つ上の兄貴にも似ていないことに母親は大きく失望したらしい。

 

そう、生まれたその瞬間から母親との軋轢は始まっていた。

何をやっても母からは褒められたことはなく、可愛いがられたこともなかった。

父は朝から夜遅くまで仕事していてオレが高校生になるまで顔を合わせた記憶すらない。

幼少期は究極に惨めで、どこへ行っても馴染めず孤独を感じずにはいられない、そんな悲惨な時代だった。

 

時はバブル全盛期にも関わらず家は極端に貧乏で、20歳で二児の親となった両親は当時からしても余りにも若過ぎる親だった。

封建的な古臭い社会風習が色濃く残る小さな田舎町じゃ稼げるあてなど当然なく、オレが住んでいた場所はどう考えても家族5人が暮らすには無理な場所だった。


なんせ風呂もトイレも外、シャワーもなく家のテレビはリモコンのない真空管、エアコンもない、自分専用の部屋なんてのは夢のまた夢、1LDKの平部屋に五人住まいという子供ながらに地球上で最低の場所とすら思っていた。

この頃の夢は好きなものをたらふく食べること、そして自分の部屋を持つことだった。

友達の家に行くたびに羨ましくて仕方がなくてね、いつもテンション上がってた。

自分の部屋!水洗のトイレ!シャワー付きのお風呂!広いリビングと優しい家族!

 

オレの家はなんだありゃ?豚小屋か?友達も呼べない、居場所なんかない、隠れる場所も、救いもない。逃げ出すこともできない。

オレが自分の部屋に引きこもることはおろか、同じ場所に定住できない性格なのはこの辺りからきているのかもしれない。

家=息苦しい場所という刷り込みだ。

 

ーそもそも貧乏人は引きこもりにすらなれねえ。

引きこもりってのはオレからしたら金持ちにのみに与えられた特権階級の反抗だ。

引きこもりのガキを持つ悩める現代のパパママ達にオレの育った地獄のようなあの家を、あの生活を勧めたいね。

学校が辛い?勉強が嫌だ?独りぼっちが寂しい?それがなんだってんだよ。ハッキリ言っておくが押し付けられた貧乏の方がその数億倍も辛い。

引きこもりってのは自分の部屋があるんだぜ?テレビもエアコンも今ならpcまで与えられてる!しかも明日の夕飯の心配もない!誰にも殴られない!まるで王様じゃねえか!何を悩むことがあるのかー

4歳くらいの頃だったか、母が急に荒れ始めた。いや、狂っていたと言ってもいい。

今を思えば育児ノイローゼの一種もあったのかもしれないが、オレや兄貴に暴力を振るうようになった。

顔が気にくわないと引っ叩かれ、酔った母親に馬乗りでゲロが吐くまで殴られたり、ハンガーで全身ミミズ腫れになるまで殴られたこともあった。

一番酷いときは鼻の骨を折られるまで殴られた。

 

オレは何で暴力を振るわれているんだ?世の中の連中がいう殴られて当然な人間なのか?それとも神様とやらはオレはサンドバッグとして生を受けたとでも言うのか?

 

ージョーンクロフォードの伝記映画「愛と憎しみの伝説」、原田美枝子の「愛を乞う人」を観たことあるかい?まさにあの壮絶な虐待そのまま。

あれが子を思う愛情表現だって?

んなわけねえだろ。

親からの暴力に愛情を感じる奴なんてこの世にはいない。

理不尽な暴力からは憎しみしか生まれない。そんなに憎けりゃなんでオレをこのクソみたいな世界に産み落としやがったのかとね。ー

 

ある日、知らない男が家にやってきて母はオレと兄貴を弟だと言って紹介した。

地獄は暴力だけでは終わらなかった。

その見知らぬ男によってただでさえ無い居場所を奪われちまった。

 

しばらく外で遊んでこいという母の命令に、殴られたくない兄は素直に応じたが、オレは嫌だと泣き叫び反抗したものの、髪の毛を捕まえられて裸足のまま外に放り投げられた。

泣き叫ぶオレを見下ろしながらニヤニヤと憐れんだ目で見下ろすあのクソ野郎の顔は今でも覚えてる。

まさにクソみたいな大人とは奴らのことだ。

ーこの頃に植え付けられた大人への怒りと反抗心は、小学5年生になったときに大問題を引き起こすことになるのだがそれはまた別の機会にー

 

母は徹底的に男にだらしなく、母の男遊びはオレの知る限り、オレが東京へ出るまでの18歳、母が38歳になるまで続いていた。

母は子供の頃から男にチヤホヤされてきた典型的なマリーアントワネットタイプの性格極悪女で、世界で一番可愛いのは自分。

我が子よりも自分が最優先、常に愛情は自分に向けられていないとキチガイのようにわめき散らす。

ライバルは松田聖子とマドンナで、自分が夢見る16歳だと真剣に思い込んでるんだから、我が母親ながら相当イカれてる。

 

ー生まれて最初に身近に接する女性は誰もが母親だ。

そんな母を見て育ったオレは40になった今でもどこか女性を信用しきれない部分がある。

特に男からチヤホヤされるようなタイプの女性は今でも苦手意識があって.

いわゆる、日本人が大好きなパッチリ二重、フワッとした柔らかいロングヘアー、

小柄で童顔。この手の女性に一切興味を持てない。

それはあの頃の母を思い起こすからにほかならないー

 

暴力は小学生になってからも続いていた。聞き分けのいい兄は暴力から逃れ、母の暴力はオレのみになった。

その頃になると、みんな家族の筈なのにどこか他人のようなよそよそしさを感じるようになっていた。

 


オレは一体何の為に生まれてきたのか?

 

この頃に受けた傷は今もオレの心に暗い影を落としている。

 

母は最初にして人生最大の敵との出会いだったのかもしれない。

 

しかし、そんなオレにも唯一の味方が存在した。

今のオレの人格形成はその人物による影響が強い。

生きるとは何か、自分らしさとは何か、自然を愛する心、人間の馬鹿らしさ、自由に生きることの難しさ…全ての基礎はその人との奇妙な共同生活から始まったのだ。